没後20年近くがたち、漫画家の手塚治虫の偉大さを認めながらも、業績や人物像を冷静にとらえ直す動きが広がってきた。
「手塚治虫は才能のあふれるまま漫画を描いたと思われている。だが実は苦闘の連続だった」(同志社大 竹内オサム教授)
竹内は遺族や漫画家や担当編集者らの声を集め、手塚の生涯を検証。9月にミネルヴァ書房から評伝「手塚治虫」を刊行する。
その中では、自由に描いていたデビュー直後とは違い、商業雑誌の連載の制約、求められる刺激、劇画が流行したときには絵が古いと言われ、心労からノイローゼになった、挫折の時代が注目される。
「アーティストとアルチザンの間で苦しみ続けていたのではないか。その人間くさい一面を書きたかった」(竹内)芸術性を志向しながらも絶えず流行を意識して作風を変えた手塚を描く。
このほか本書では戦時中に「桃太郎」という漫画を描いていたとの本人の証言を発掘し、それが事実であれば、デビュー作「マアチャンの日記帳」以前にも漫画を出版していた可能性がある。
昨年「アニメ作家としての手塚治虫」(NTT出版)を出版した京都精華大特任講師の津堅信之は、手塚の制作体制について発表した。
「手塚の虫プロが『鉄腕アトム』の制作費を極端に安く抑えたことで、後のアニメ界の劣悪な労働環境をもたらした」とする説に対し、低価格での請負がなかったことを明らかにし、この説を否定した。
手塚の「新宝島」が日本初のストーリー漫画といわれ、藤子不二雄、石ノ森章太郎らにも影響を与えたとされるが「新宝島」には大阪の漫画家・酒井七馬という共同制作者がいた。
忘れられた存在だったが、ライターの中野晴行が「謎のマンガ家・酒井七馬伝」(筑摩書房)で酒井に光を当て、今年度の日本漫画家協会賞特別賞を受賞した。
「酒井は戦前、日活京都撮影所でアニメ制作に携わっており、動きのある漫画の作り方が分かっていた。ディズニー調の絵が描ける手塚を酒井が発掘し、二つの才能が出合って『新宝島』が生まれた」(中野)
昨年12月には漫画研究家の野口文雄による「手塚治虫の『新宝島』」(小学館クリエイティブ)が出版されるなど、「新宝島」をめぐる議論も熱を帯びている。
これらは手塚が漫画界に果たした役割を先入観を持たずに考える試みだ。漫画評論家の伊藤剛は「手塚の現役時代を知らない若い世代は今、古典として手塚作品を学校図書館などで読んでいる。亡くなって20年がたとうとしている今、かつてとは違う受け入れ方に目を向けてもいいのではないか」と話している。
ヘッドラインは2008/08/25, 日本経済新聞 夕刊




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