漫画ヒーロー列伝―天才バカボン、ギャグに革命

いしかわじゅん氏による、日経夕刊連載最終回。
最終回はいしかわじゅん氏の本業「ギャグ漫画」

ギャグには天才が要る。ギャグとは価値観を笑うこと。なまじの才能では、ただ笑われるだけで終わってしまう。
戦前から戦後にかけての孤高の天才、杉浦茂。
時代劇にインディアンの大軍が登場したかと思ったら、虚空から怪物が現れる。時空を次元を乗り越えて物語は果てしなく広がる。後世のギャグ漫画家に多大な影響を与えた。

それを継いだ、赤塚不二夫。
杉浦茂の過激さを誰も受け継げずに、ほのぼのした軽いユーモア漫画ばかりだった漫画界に、予定調和を突き崩した革命的ギャグを持ち込んだ。
中でも1967年からの「天才バカボン」は一世を風靡した。赤塚漫画の登場人物〈レレレのおじさん〉は、実は杉浦茂のキャラを借用したものだ。杉浦の作風を継ぐのは自分だという自負もあったに違いない。

少年漫画に初めて「性」を持ち込んだのは、永井豪。
「ハレンチ学園」の山岸が十兵衛のスカートをめくるのを真似て、全国の小学生が同級生のスカートをめくったのだ。教師のヒゲゴジラや丸ゴシは常に半裸で、まさに性を象徴していた。
1970年から、谷岡ヤスジは「メッタメタガキ道講座」で爆発的ヒットを飛ばした。ヒーローは「アサー」と叫ぶムジ鳥。次には鼻血ブーのガキ夫である。無意味・ナンセンスの作風に、読者は衝撃を受けた。

ぼく(いしかわじゅん)のかつてのライバル吾妻ひでおは、1972年から「ふたりと5人」のヒットを出したが、それより「おたく」と「ロリコン」の元祖として有名。
その後描けなくなって失踪、浮浪者生活を送ったことを作品にした「失踪日記」はベストセラーになった。吾妻の最大のキャラは、本人かもしれない。
1974年から、山上たつひこが「がきデカ」で、こまわりくんを登場させた。当時は日本中の子供が到るところで、「死刑!」と妙なポーズを取っていた。
少年誌に大人の性の視点を持ち込んだ張本人だ。こまわりくんのねっとりとした視線は、大人よりもいやらしかった。

連載中断も度々
江口寿史が「すすめ!!パイレーツ」で登場したのは1977年。正統派純情少年の富士一平の周りに集まる奇妙なキャラは、少年たちに人気が高かった。
同じ77年には、鴨川つばめも「マカロニほうれん荘」をスタートさせている。そうじ&きんどーちゃん&トシちゃんの三人組は破壊的であった。
江口と鴨川のふたりは、あっという間に原稿を落とすようになり、江口はこの後、連載を始めては中断というパターンを繰り返すようになり、鴨川は描けなくなってフェイドアウトした。

いしかわじゅん氏は最後にこのように結んでいる。

「ギャグ漫画はだんだんむつかしくなり、強烈なキャラで大ヒットを飛ばすという時代ではなくなってしまった。既にバカボンのパパやこまわりくんのようなキャラを転がす時代ではなく、概念を転がす時代になってしまったのだ。やや寂しいのである」

2008/11/27, 日本経済新聞 夕刊より

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